狩野伊川院栄信 (かのういせんいんながのぶ)
狩野栄信(1775~1828)は、奥絵師四家の一つである木挽町狩野家の子として生まれる。父の指導を受け、天明5年に早くも奥御用を始め、寛政12年には江戸城内殿の障壁画を制作。享和2年に法眼に叙された。文化5年に家督を継ぎ、同13年には法印となり、伊川院と称した。模写を重視し、中国や日本の古画をよく学んだ。子の養信とともに、江戸狩野を中興させたと言われ、端正な画風をみせる。
狩野栄信(1775~1828)は、奥絵師四家の一つである木挽町狩野家の子として生まれる。父の指導を受け、天明5年に早くも奥御用を始め、寛政12年には江戸城内殿の障壁画を制作。享和2年に法眼に叙された。文化5年に家督を継ぎ、同13年には法印となり、伊川院と称した。模写を重視し、中国や日本の古画をよく学んだ。子の養信とともに、江戸狩野を中興させたと言われ、端正な画風をみせる。