日本最大の画派・狩野派徹底解剖(2) 狩野派研究の動向と現状
野田麻美(神戸大学)
ご無沙汰しております。
第一回のコラムの後、江戸狩野派作品の調査にあちこち飛び回り、すっかり遅くなってしまいました。もし、楽しみに待っていてくださった方がいらしたら(いらっしゃるでしょうか・・・)、お待たせしてすみません。
2026年9月3日(日本時間)、私はイギリスに行く飛行機でこの夏号を書いています。夏号、といいながら、イギリスはもう秋めいているようですが、日本はまだ暑いので、お許しください・・・。

前号で、狩野派の魅力は、400年の間に制作された膨大な作品のバリエーションにある、と書きましたが、なかでも江戸狩野派の作品はまだまだ研究が本格化したばかり、という状況で、世界中にある江戸狩野派作品の全貌を知るには、恐らく3回「狩野女」として生き返っても不十分だと思います。それでも、こつこつと見ていかないと、江戸狩野派の幅広い魅力を深く知ることはできない・・・ということで、限られた人生、寸を惜しんで作品調査に飛び回っております。
イギリス調査や在外作品については、次回お話しすることとして、今回は、現在の私の狩野派研究をご紹介するなかで、江戸狩野派研究の現状について取り上げたいと思います。
約400年もの長い期間活動し、江戸時代には奥絵師4家、表絵師12家を中心に全国諸藩に広がった狩野派の作品は膨大に現存していますが、江戸狩野派については、その数も作品の内容も不明瞭と言っていいでしょう。美術史研究の基礎にして最大の目標は、画家のカタログレゾネ(作品の総目録)を作成することにありますが、狩野派研究では、その膨大な数の把握が困難であることから、そのような試みはほとんどなされていません。
そこで、私は、日本のみならず世界中の美術館・博物館等の機関に協力を求め、狩野派作品が現在、世界中にどの程度存在するのか確認しようと、何とも無謀なプランを立て、昨年度から調査を始めました。
もし、その情報が集積され、データベース化されたら、今後の狩野派研究の基盤づくりに大きく貢献できるのでは、と考えたのです。このデータベースを活用すれば、膨大な作品の存在という、分厚いヴェールに包まれた狩野派の全貌に迫り、その本質的な特徴や、美術史的な意義を考察することもできるのではと、夢想したのです・・・。
そもそも、こんな無謀なことを考え出したのは、2023年、私の近年の研究の集大成として「江戸狩野派研究―古典の再生と変容」という博士論文を東京大学に提出したことがきっかけでした。博論を執筆するなかで、私は、国内外に江戸狩野派の作品がどの程度あるのか分からないことが、江戸狩野派研究の根本的な進展を阻んでいることを痛感していました。

「江戸狩野派研究」 目次
一方、この15年ほど、江戸狩野派が中国絵画に倣った作品の図柄を集める〈倣古図〉研究に取り組んでいますが、2023年から翌年にかけ、江戸狩野派の倣古図の発掘、行方不明作品の捜索を集中的に行ったところ、約270図もの江戸狩野派の倣古図を新たに見出し、あるいは再発見したため、頑張って探せば、江戸狩野派の様式転換を促した画期的作品もたくさん出てくるのでは・・・などと、希望に胸をときめかせてしまったのです!
また、私の江戸狩野派研究は、これまでの狩野派研究とはちょっと違う視点から取り組んでいることも、この無謀な研究計画に関係があります。
これまでの狩野派研究は、大まかにいうと、個性的・独創的な画家30名程度の研究によって進展してきたと言えます。良い作品、オリジナリティのある作品、あるいは美術史的に画期的な作品に注目することで歴史をつむぐという、美術史の王道の手法によって狩野派研究は発展してきたのです。
ここで、江戸狩野派研究の歴史にも少し触れておきましょう。近代以降の美術史学で初めて狩野派の歴史的評価を試みた岡倉天心は、狩野派の発展を6段階(1正信・元信、2永徳・山楽、3探幽、4典信・惟信、5栄信・養信、6狩野芳崖・橋本雅邦)で捉えており、江戸時代の狩野派では狩野探幽と狩野栄信が最も重要な存在と指摘しています。わたしはこの天心の説にとても納得するところがあり、さすが(おそらく)地球上でもっとも多くの江戸狩野派作品に触れた研究者だけあると思っています。

岡倉天心像
それにもかかわらず、栄信とその周辺画家の本格的な研究は、天心の説を裏付けるほどには進んでいません。その理由はいろいろとありますが、一番大きいのは、明治維新の後、江戸時代を乗り越えるべき時代として、直近(江戸時代後期)の作品、とりわけ否定されるべき体制側の画家たち、すなわち幕府の御用絵師であった江戸狩野派の作品は批判の的となったことでしょう。大正時代には、個性を重んじる風潮もあって、個性とは真逆の方向に振り切った江戸狩野派の作品は「つまらない」と一蹴されたりしています。こういう見方は今でも美術史研究者のなかには多く見られます。
一方、この半世紀あまり、探幽の再評価がすすみ、御用絵師の研究や江戸城の障壁画下絵を含む下絵、模本の希少価値への注目などもあって、江戸狩野派研究は多角的に進展しています。
しかしながら、数で勝負、あの大名が持っている作品と同じ以上の品質で同じような作品を作る、みたいなモットーがある江戸狩野派の画家は、結果的に、大半が狩野派研究の王道でもある、「個性的な画家」「画期的作品を生み出した画家」に当てはまりません。そういう考え方や研究をすると、「画壇の家康」と称され、江戸時代の絵画のスタイルの基礎を作った探幽くらいしか取り上げられません。そうすると、江戸狩野派とはどういう画家集団か、いつまでたっても私のなかではよくわからない、ということになってしまいます。

伝桃田柳栄「狩野探幽像」(京都国立博物館)🄫コルベース
そのため、上下関係が厳然としている江戸狩野派の主要画家≠うまい画家、=えらい画家ということで、奥絵師・表絵師の当主(およそ150名)に注目し、彼らの作品が世界中にどのくらいあるか確認してみよう!と思い立ったのです。
これまでの研究では、彼らのうち、20点以上の作品を確認できる画家は1割程度しかいません。実際、探幽以外の画家の研究もこつこつと、たくさんの研究者によって積み重ねられてきましたが、何せ数が多い江戸狩野派全体となると、全然研究されていない画家もたくさんいる、ということになります。これらの作品を確認することで、初めて江戸狩野派の全貌が明らかになるのでは・・・さらには、その研究成果を多くの研究者と共有できれば、世界的な狩野派研究の発展に貢献できると思ったのです!(書いていてだんだん恥ずかしくなってまいりました・・・)
さて、こういう無謀な試みを本当にやる人は(あまり)いないのですが、私は荒唐無稽なプランに必要なのは、じつは小さな、そして地道かつ膨大な作業だと考えており、この研究は、作業量が勝負だともくろみました。
まずは、どうやって情報を集めるか、プランを立てました。具体的には、狩野派作品のご所蔵者に、作品に関する情報提供をお願いする方法を考えました。ほんとうは、世界中の作品所蔵機関に直接お伺いし、学芸員の方たちに「すみません、狩野派の作品ご所蔵じゃないですか?え、お持ちですか!何点ありますか?あ、数えられないくらいある!?」などと聞き取りさせていただくのが一番ですが、それをやっていたら、きっと職場のある兵庫県をやり終える頃には私は定年退職しているのではないか…と思います。
そこで、私が作成したエクセル表に情報を入力していただき、主にメールでやりとりすることで、世界中のご所蔵者にコンタクトを取ることにしました。そもそも、この計画を夢想する段階で、メールやSNSが発達した現代だからこそ、この無謀な研究ができるのではと考えました。
具体的なやり方としては、全国をしらみつぶしに調査するため、北から順に、一週間に1つの都道府県の文化財ご担当者様に連絡を取り、「狩野派作品ご所蔵ですか?」とお伺いするアンケートを、都道府県内の市町村の文化財ご担当者様や、関連機関の学芸員の方々などにばらまいていただく、というやり方を、2025年の6月から始めました。さらに、各都道府県の博物館協会様にアンケート調査の依頼をして、美術館博物館への調査依頼をより広範に行っています。

狩野派アンケート用紙
2025年度(2026年3月まで)、東日本の作業を(東京以外)終え、2026年度にあたる現在、西日本の都道府県の文化財ご担当者様にご連絡させていただいているところです。
この研究は、現段階では2029年度まで行う予定です。2027年度には公的機関以外のご所蔵者様(個人コレクターなど)、在外作品の調査を、2028・29年度にはデータベースに集めた情報を整理して入力し、ご所蔵者様に研究成果をご報告する予定でいます。
データベースには、収集した狩野派作品の情報のうち、作者名・作品名・所蔵者名・素材技法・形状・法量・年代などを入力予定で、このデータベースができれば、画家のカタログレゾネづくりのたたき台や、画題ごとの江戸狩野派作品の展開なども分析できるようになるはずです。
このデータベースは、私が十数年の間に集めた情報をもとに、江戸狩野派の奥絵師・表絵師の画家約70名を対象に、約3400点の作品情報をデータベース化したものをもとにしています。本研究の土台作りは10年近く取り組んでおり、基礎的な土台はできていたと言えるかもしれません。しかしながら、今振り返ると、やはり情報収集の対象が図録や論文だったため、全国の文化財ご担当者様のご協力で悉皆的に作品情報を集めている今、あまりにも情報収集の対象が狭かったと、反省しきりです。
この研究が終了したら、またこのコラムでご報告できればと思いますが、現状の中間報告をしておきます。昨年度、東京以外の東日本について調査を実施し、ご協力いただいた機関は660を超え、そのうち、北海道・東北地域から約130、関東地域から約140、甲信越地域から約30、北陸・東海地域から約90の機関から情報提供をいただくことができました。
また、在外作品では、江戸狩野派作品の二大拠点・ボストン美術館と大英博物館の作品について、具体的な調査をしております(明日から大英博物館の調査です!)。来年度以降、アメリカ、イギリス以外の諸国の江戸狩野派作品の情報収集も実施していきます。
この無謀な研究も、3年後には、データベースの形になることで、きっと江戸狩野派作品のすばらしさを世界中の人に伝えるきっかけとなってくれると信じています。
信じる者は救われる?の精神で、頑張ってまいります!

