狩野常信 (かのうつねのぶ)
狩野常信(1636~1713)は、木挽町狩野家、狩野尚信の子。奥絵師四家の一つである木挽町狩野は、尚信が寛永7年に幕府の御用絵師となったことに始まる。慶安3年に父の跡を継ぐ。父の没後は、伯父である探幽方へ引き取られその薫陶を受け、また、自ら室町水墨画などの古画に学んだ。大変な努力家であったと伝えられている。江戸城や御所の障壁画制作に参加し、宝永6年には紫宸殿に賢聖障子を描く。宝永元年に法眼、同6年には法印に叙された。
狩野常信(1636~1713)は、木挽町狩野家、狩野尚信の子。奥絵師四家の一つである木挽町狩野は、尚信が寛永7年に幕府の御用絵師となったことに始まる。慶安3年に父の跡を継ぐ。父の没後は、伯父である探幽方へ引き取られその薫陶を受け、また、自ら室町水墨画などの古画に学んだ。大変な努力家であったと伝えられている。江戸城や御所の障壁画制作に参加し、宝永6年には紫宸殿に賢聖障子を描く。宝永元年に法眼、同6年には法印に叙された。