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勝海舟
対伊藤圭介 双幅
Katsu Kaishu
Calligraphy
掛軸 絖本 各164,5cm×51,3cm(総丈各215cm×68cm) 箱入
作品の状態について
画面、表装ともに良い状態です。
書かれた当時の表装のままの状態です。
本草学者・伊藤圭介との双幅は大変珍しいです。
【勝海舟】
世變不可已数運迫于此能事無窮極
何亦有定止造化生〻意敦厚見其旨威
儀非鞭笞群黎是誰子
己卯仲冬録舊作 海舟散人
〈読み〉
世変已むべからず、数運此こに迫る。
能事 窮極無く、何ぞ亦た定止有らん。
造化 生生の意、敦厚 其の旨を見る。
威儀 鞭笞に非ず、群黎 是れ誰が子ぞ。
己卯の仲冬に旧作を録す。海舟散人。
〈大意〉
世の転変は果てしなく、我が命数はここに尽きんとするかの如くである。自分の菲才では極め尽くしたものとて無く、定まった居所も無い。天地の生々して已まぬその訳は何かと言うに、大らかさ温かさにそのこころがある。天地に威儀があるのは鞭打って怒るからではない、人みな、誰の子供であろうか(私の様な者を含め、全てを生かしてくれるその有難さに天地の荘厳さがあるのである)。
己卯(明治十二年、1879年)の仲冬(十一月)、以前作った詩を書く。
〈語注〉
◯能事=特に優れた技。
◯鞭笞 =むちで打つ。
◯群黎 =たくさんの人々。万民。
【伊藤圭介】
抖擻塵寰事探幽藜一枝煙霞醸痼疾花鳥
笑狂癡温古迷荒寺掃苔讀斷碑吾詩換瓦
礫収拾錦囊隨
明治十九年夏日遊仙臺歴観壺碑玉川燕澤舊蹟又攀
多賀古城趾拾碎瓦途中口占 九十齢錦窠老人
〈読み〉
抖擻す塵寰の事、幽を探す藜一枝。
煙霞 痼疾を醸し、花鳥 狂癡を笑ふ。
古を温(たず)ねて荒寺に迷ひ、苔を埽ひて断碑を読む。
吾が詩 瓦礫に換へ、収拾 錦囊に随ふ。
明治十九年夏日、仙台に遊び壺碑・玉川・燕澤の旧蹟を歴観し、又た多賀古城趾に攀じり碎瓦を拾ふ、途中の口占。 九十齢錦窠老人。
〈大意〉
煩わしい俗世の用事を打ち捨てて、藜一本つえついて奥深き景勝を探訪する。山間のもや・かすみは我が山水を愛するの奇癖を助長し、花や鳥は私の山水マニアのほどを笑うがごとくである。いにしえを慕って荒れ寺にさまよい、苔を掃って欠けた石碑を読む。私の賦した詩を瓦礫と引き換えにするので、古物の収集は詩嚢のいかんに依るという訳だ。
明治十九(1886)年の夏、仙台に旅行し、壺の碑(いしぶみ)、野田の玉川、燕沢の碑といった旧蹟を経めぐり、さらに多賀城跡によじ登って古瓦の破片を拾った、その道中の口号。
〈語釈〉
◯抖擻(とそう)=探索、振起、顫動など幾つかの意味があるが、ここでは脱却すること。
◯塵寰(じんかん)=塵にまみれた俗世間。
◯藜=あかざ。アカザ科の一年草で、若葉を食用に、茎を乾燥させて杖にする。藜の杖は軽いため、老人の持ち物とされる。
◯痼疾(こしつ)=もとは長年の持病の意だが、転じて習癖をも言う。ここは詩人の山水を愛する癖のこと。「煙霞痼疾」は成語で、両唐書隠逸伝の田遊巌伝に見える。唐の田遊巌はその母・妻ともども仙道を慕い、名山を訪ねてはそこに隠棲していた。嵩山に在った時、高宗の行幸に遇い、高宗の問いに答えて、「臣泉石膏肓、煙霞痼疾。(私めは流れや石を愛好して膏肓に入り、雲や霞を慕うのを持病としております。)」の名句を吐いた。また、黄庭堅の語として知られるものに、「顧みて知る此の老の胸次、定めて泉石膏肓の疾有らんことを。」(『苕溪漁隠叢話』前集巻十五)とある。過剰なまでの山水愛好は文人の奇癖の一である。
◯温古=『論語』為政篇に「子曰く、故を温ねて新しきを知れば、以て師と為るべし。」とある。
◯掃苔(そうたい)=墓碑や古跡を訪うことを「掃苔」と言う。
◯錦囊=錦で作った袋のことで、特に詩の原稿や文書を入れて携行するのに用いるもの。転じて、詩作、詩囊(作った詩やアイデアのストック)のこと。『新唐書』の李賀の故事に基づく。
◯壺碑=つぼのいしぶみ。ここでは青森県七戸町のそれではなく、多賀城碑のこと。芭蕉『おくのほそ道』(西村本)に「壺碑、市川村多賀城に有。」とある。近年影印された芭蕉自筆本でも同じ。
◯玉川=塩竈市から多賀城市を流れる野田の玉川。六玉川の一。『おくのほそ道』(西村本)に「それより野田の玉川・沖の石を尋ぬ。」とある。自筆本同じ。
◯燕澤=仙台市宮城野区の地名。燕沢の碑で知られる。
◯多賀古城趾=多賀城跡。古代の城柵の遺構。古代には軍事のみならず、東北地方の政治行政の中心であった。この遺跡への注目は江戸期以降のことで、初の本格的な調査は大正十年、柴田常恵らによる。
〈解説〉
一幅目は、勝海舟が57歳(明治12年)のときに以前作った詩を書いたものです。人生や世界は無常である一方、天地(自然や宇宙)はすべてを包み込む大きな温かさと慈しみによって成り立っていると説いています。怒りや力ではなく、すべての命を受け入れ生かしてくれる心こそが、真の威厳であると語られています。
二幅目は、伊藤圭介が90歳(明治25年)のときに書いたものです。俗世を離れ、自然や歴史に浸りながら詩作や古物収集を楽しむ、風雅な旅の生き方がうかがえます。また、「明治19年夏、仙台を旅し、壺の碑や多賀城跡などの旧跡を巡って古瓦を拾った際の道中の口号」という内容の款記があることから、こちらも勝海舟の書幅と同様に、過去に作った詩を後に書いたものであることが分かります。(Y)
作家について
勝海舟(1823~1899)は、江戸本所亀沢町で生まれる。幼少時、11代将軍徳川家斉の孫・一橋慶昌の遊び相手として江戸城へ召されている。一橋家の家臣として出世する可能性があったが、慶昌が早世したためその望み...
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