開催中の展示会

Goodness

2020.10.29-2020.11.08

Covid-19の影響により、内に籠り考える時間が増えた現代において、掛軸も一つのお役に立てるのではないかと考え、web エキシビション ページを作りました。

今回は、「善」をテーマに作品を選びました。
自分自身や社会を見つめ直す中で、先人が創り上げた作品が、何かを考えるきっかけになると信じています。

作品が創られた時代背景や、書かれた内容をゆっくりと考える事で、今を見つめ直す手がかりになれば幸いです。

今回の展覧会が、自分を見つめ直すお役に立てる事を願っています。

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白隠慧鶴 南無地獄大菩薩
紙本
135.7cm×28cm(総丈213cm×39cm)
箱入

〈解説〉
白隠といえば地獄と言われます。地獄の苦患・恐ろしさこそ、白隠が出家する機縁となったものだからです。白隠は11歳の時、母に連れられて行った村の昌原寺で、日厳上人が地獄の相を説くのを聞きました。あまりに真に迫った地獄話に戦慄し、焦熱地獄の苦しみが幼い白隠の脳裏に焼きついたのです。
 本作品は白隠の最晩年の書です。「南無」は帰依・敬礼の意を表します。つまり、地獄という大菩薩に帰依したてまつる、という意です。唯識(すべての現象は心の現れとする仏教の認識論)の立場では、地獄も極楽も人間の心の鏡に映ったものに他ならず、表裏一体の存在であるといいます。すなわち、白隠は閻魔大王=地蔵菩薩という認識のもとで揮毫しています。緊迫した力に満ちており、積年の地獄に対する白隠の強い信念がこの「南無地獄大菩薩」の中に叩き込まれているかのようです。

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白隠慧鶴 南無地獄大菩薩

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白隠慧鶴 秋葉山大権現
紙本
132.5cm×28.5cm(総丈211cm×41.5cm)
箱入

〈解説〉
 火防・火伏せの神として有名な「秋葉山大権現」の神号を、雄渾な筆致でどっしりと書いています。勢い余って最後の一字が入りきらなくなってしまうという、白隠一行書の特徴が表れています。関防印に白文楕円印「顧鑑咦」、落款印に白文方印「慧鶴」と朱文方印「白隠」が捺されています。「大」字の左には、白隠の指紋らしきものが確認できることは注目すべき点だと思います。
 白隠は「金毘羅山大権現」と「秋葉山大権現」の神号を対にして書くことがしばしばあります。なぜなら、白隠においてはこの二つの神号が、火伏せなどという個別の利益を超えた「七難即滅、七福即生」、つまり、一切の災難を除き、一切の福をもたらすという「お守り」の意味を持っていたからです。

※ 秋葉山大権現 
秋葉三尺坊、秋葉権現ともいう。江戸時代には火難除けの神として広く知られ、全国各地に秋葉講が結成され、秋葉権現のある遠州(現在の静岡県西部)にお参りすることが盛んに行われた。

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白隠慧鶴 大達磨図
紙本
117.6cm×50.7cm(総丈186cm×65.5cm)
箱入

直 指
  人 心
見性
成 佛

〈読み〉
直指人心、見性成仏。
(じきしにんしん、けんしょうじょつぶつ)

〈解説〉
 白隠は民衆に禅の教えを分かりやすく伝えるために、生涯に一万点を超える書画をかいたと言われています。その中で最も多いのが達磨図です。
 どっしりと安定した構図で描かれた半身達磨。頭頂ははげ頭、後頭部の頭髪から顎と口を覆うふさふさの髭、大衣を着けていて、達磨の視線は斜め上を向いています。「直指人心、見性成仏」の語は、禅宗の教えの要点を端的に示したもので、達磨図の賛として最も多く用いられています。「(言葉や文字などの間接的な方法を用いることなく)座禅によって自分の心を直接つかみ、全ての人に本来具わっている仏性を自覚して、この身のまま仏となる」という意味です。この達磨、つまり白隠が伝えようとする「心」に触れ、一度ゆっくりと自らの「心」をまっすぐに見つめてみてはいかがでしょうか。

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白隠慧鶴 草坐達磨図
紙本
118.5cm×54.5cm(総丈217cm×69cm)
箱入

どふ
 見て
  も

〈読み〉
どふ見ても

〈解説〉
 80歳に近い70歳代後半に書かれた作品です。白隠は生涯に数多くの達磨図を描きましたが、「どふ見ても」という賛を持つものはかなり稀です。草のように見せる坐具に座り、大きな眼をカッと見開いて空を睨む達磨を真横から描いています。賛の意味は「どう見ても、達磨大師だ」であろうか。「どふ見ても」の後に続く言葉は、この達磨図と向かい合う人の置かれている状況や心境によって異なると思います。みなさんはどのような言葉が続くと考えますか。

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良寛 鉢の子
紙本
25.5cm×29cm(総丈135cm×42.5cm)
安田靫彦箱書並旧蔵品

「はちのこを」

波知能許遠
和可王數留
礼東毛登留悲
東者奈之登る
非登者那之は
ち能こ 安者礼

〈読み〉
はちのこを/わがわする/れどもとるひ/とはなしとる/ひとはなしは/ちのこ あはれ

(鉢の子を 我が忘るれども 取る人はなし 取る人はなし 鉢の子あはれ)

〈口語訳〉
大事な鉢の子を、私が道端に置き忘れてきたが、だれも取っていく人はいなかった。取っていく人はいなかった、その鉢の子のいとしいことよ。

〈解説〉
『良寛墨蹟大観』第三巻・和歌篇(一)、『良寛の書 -安田靫彦の愛蔵品による- 』所載作品。

 乙子神社時代と推定される、鉢の子を詠んだ有名な歌が揮毫されています。「鉢の子」とは応量器(=禅宗の修行者が使用する食器)のことで、禅僧が托鉢の時に所持し、諸方から喜捨される米や金銭を受ける鉢のことです。良寛は木製のかわいらしい浅い小ぶりの型を愛用したそうです。最終行の「あはれ」は一呼吸置いて書かれており、この余白から良寛の鉢の子に対するとても深い愛情を感じます。

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良寛 鉢の子

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慈雲飲光 二行書
紙本
120.3cm×50.5cm(総丈182cm×66.5cm)
箱入

禮々云々玉
帛云哉

〈読み〉
礼と云い礼と云うも、玉帛を云わんや。

〈口語訳〉
礼だ礼だというけれども、(儀式の道具の)玉と絹が問題ではない。

〈語注〉
◯玉帛(ぎょくはく) 儀式に用いる玉と絹。

〈解説〉
『墨美』267号 慈雲尊者(五)所載作品。

 『論語』陽貸第十七に「子曰く、礼と云い礼と云うも、玉帛を云わんや。楽と云い楽と云うも、鐘鼓を云わんや。」とあります。礼というのはその根底にある心が大切であって、儀式用の玉や絹のような道具によるものではないとし、「形式」よりも「本質」が大切だと説かれています。
 迫力の漲る躍動的な筆致でありながら、静寂さも備えた作品です。

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西田幾多郎 一行書
紙本
135cm×32cm(総丈205cm×45.5cm)
箱入

猛虎一聲山月高
   寸心

〈読み〉
猛虎一声 山月高し 。寸心。

〈大意〉
突然、虎の猛々しい声が響き渡って静寂を破った。外を見ると、月が山上高く昇って輝いている。

〈解説〉
 悟りの境地を象徴的に詠んだ禅詩とされる、北宋の詩人俞紫芝の「蒋山の栖霞寺に宿りて」と題する七言絶句の結句を記した作品。余分なもの一切を削ぎ落とした澄んだ細みの線で書かれています。
 この句は、突然の衝撃(虎の猛々しい声)によって目を覚まし、またすぐに静かな状態(山月の美景)に戻る様が詠まれています。禅の立場から見ると、「禅者の自在は故意に瀟洒な状態を作るのではなく、煩悩や妄想などの一切の束縛を捨てることで自在の境地を獲得できる。その高遠清幽な禅境は高山や密林にあるわけではなく、万物を知り抜いて憂懼(=心配し恐れること)を無くすことで、聡明な月が常に大千世界を明るく照してくれる」の意に解釈されるだろうか。

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鈴木大拙 一行書
紙本
144.5cm×39.5cm(総丈222cm×53.5cm)
関牧翁箱書

曽能末摩
   大拙書

〈読み〉
曽能末摩。大拙書す。

〈解説〉
 「曽能末摩」と記して「そのまま」と読みます。漢字の本来の意味とは関係なく、漢字の音や訓をかりて国語の音を表記しています。この言葉に込められたメッセージは「人生はそのままで満ち足りているから、毎日を自分らしく生きなさい」ということだろうか。本当の自分を見つめ直す言葉だと思います。
 巧拙など考えず、強い線質で思うままに勢いよく書かれ、禅者としての鈴木大拙の気骨と孤高がそのままに出ています。

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久松真一 覚
紙本
22cm×31.6cm(総丈107cm×44.5cm)
共箱


 抱石

〈解説〉
 久松真一は、大正4年(1915)に西田幾多郎の薦めで京都・妙心寺の池上湘山老師に参禅し、直後の臘八大接心(=お釈迦さまが12月8日に成道された故事にちなみ、12月1日から8日朝まで昼夜寝ずに座禅すること)に参加して「無相の自己」に目覚めるという経験をしました。以後、この「覚」の立場から独自の宗教・哲学を確立しました。
 書かれた「覚」字は、小さな紙面に張り詰めた空間を作り出し、「姿・形のない真の自己に目覚める」ことを説いた久松真一の思想を具現化しているようです。署名される「抱石」は師である西田幾多郎より授かった号です。

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久松真一 覚

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久松真一 名月や
紙本
22.5cm×31.5cm(総丈99cm×42cm)
箱入

   抱石
 名月や
大千世界
 際もなし

〈読み〉
名月や大千世界際もなし 抱石

〈語注〉
◯名月 陰暦八月十五夜の月。また、陰暦九月十三夜の月。  ◯大千世界 三千大千世界に同じ。仏教の世界観による広大無辺な宇宙の総称。転じて、ありとあらゆる世界、われわれが住む世界の全体。 ◯際なし (1)限りがない。果てしない。(2)限りなくすばらしい。このうえなくすぐれている。

〈解説〉
 『墨海 久松真一の書』収載作品にも見られる句を、行の頭や行と行の間をそろえず、さまざまな変化をつけて書いています。清らかで爽やかな空間が作り出され、また非常に静かなものです。何ものからも拘束されない、自由な、無碍自在なあり方、そういう久松真一の世界が現われているようです。久松真一は「書は、書く人自身の己象(自己の形)であり、生命の形である」と書いています。

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久松真一 名月や

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森田子龍 観
紙本 漆
30cm×38.4cm(額総丈34cm×42.2)
額装



〈解説〉
『森田子龍全作品集 1952-1998』所載作品。

 黒紙に、アルミ粉を混ぜた銀色の墨で草書体の「観」字を書き、その上面に漆を塗布して仕上げた漆金作品です。『森田子龍全作品集 1952-1998』によれば、森田子龍53歳(1965年)頃の作品とされています。文字が黄金色に輝いており、そのはなやかな美しさに目を奪われてしまいます。しかし、やや照度を落として鑑賞すると、深沈と静まった深みのある別の世界が広がります。「書の美しさは、筆・墨・紙で書かれた文字における境涯の美しさである」と語った彼の境涯の深まりを感じ取ることができます。なお、ここで言う「境涯」について、森田子龍は「時間、空間を超えた作者の世界」と説明しています。

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森田子龍 観

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井上有一
南無地獄極楽大菩薩
紙本
167cm×36cm(額総丈173cm×43cm)
額装

南無地獄極楽大菩薩
   いのうえゆういち

〈解説〉
『別冊太陽』日本のこころ235「井上有一 書の破壊と想像」掲載作品。

 昭和54年(1979年)井上有一が63歳の時、白隠慧鶴の墨蹟「南無地獄大菩薩」に触発され、「極楽」の語を加えて書いた作品です。カーボンブラック(煤)と微量のボンドを水に溶いた「ボンド墨」を用いて和紙に書いたことで、独特の擦れや豊かな墨の表情が生み出されています。
 井上有一はこの年に肝硬変と診断され、2月初めから5月末までの4ヶ月間、東海大学病院に入院しました。そのため、1979年に制作された作品は「南無地獄極楽大菩薩」、「南無仏」、幼少期の思い出を記した「夢幻記」などのわずか17点しか残されていません。どれも「死」や「人生の終わり」を意識したようなものばかりです。本作品はそのうちの一点です。自身の死はどうあるべきか、死までどのように生きるかを日々考え模索した井上有一の内面が投影された作品と言えます。

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武士桑風 無題(大)
紙本
182cm×93cm(235cm×98cm)

〈解説〉
 同世代の比田井南谷(1912-1999)も非文字の領域に足を踏み入れましたが、1980年代になると作品の発表数が激減します。一方、桑風は最晩年まで精力的に作家活動を続けました。これは、生涯をかけて現代社会における書の領域、さらには「書」というもののあり方を問い続けたからだと言います。
 文字から距離を置いた作品。濃墨による安定した強い線は、桑風の内観的な生命体験が表れ、心理的な世界が表現されています。

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武士桑風 無題(小)
紙本
96cm×86cm(総丈193cm×97cm)

〈解説〉
 武士桑風は、1952年に書道展として初の海外展であるニューヨーク近代美術館展(書道芸術院主催)に《天駈ける太陽(ザ・サン)》(ギリシャ神話より)を出品しました。戦後まもない時代に世界的に高い評価を得た井上有一よりも2年早く海外で作品を発表しています。
 かなり淡い墨を二種類用いた非文字の作品。やや青みを帯びた黒と暖かみを感じる赤茶紫系の淡墨を、交互に重ねています。地色に近い色(白)もあることから、たっぷりと水を含ませた筆の穂先だけに淡墨をつけて書いたのだろう。目を凝らして見ると、中央には「◯(円相)」が浮かび上がってきます。円相は、真如・仏性・法性など、文字や言葉で表現し尽くせない絶対的で円満なる真理や悟りを象徴しています。見る人の境涯やその時の心境のあり方によって、円相に何を見るかは様々です。鏡に映った自分の心と向かい合っているような作品です。

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武士桑風 無題(小)

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白隠慧鶴 南無地獄大菩薩
紙本
135.7cm×28cm(総丈213cm×39cm)
箱入

〈解説〉
白隠といえば地獄と言われます。地獄の苦患・恐ろしさこそ、白隠が出家する機縁となったものだからです。白隠は11歳の時、母に連れられて行った村の昌原寺で、日厳上人が地獄の相を説くのを聞きました。あまりに真に迫った地獄話に戦慄し、焦熱地獄の苦しみが幼い白隠の脳裏に焼きついたのです。
 本作品は白隠の最晩年の書です。「南無」は帰依・敬礼の意を表します。つまり、地獄という大菩薩に帰依したてまつる、という意です。唯識(すべての現象は心の現れとする仏教の認識論)の立場では、地獄も極楽も人間の心の鏡に映ったものに他ならず、表裏一体の存在であるといいます。すなわち、白隠は閻魔大王=地蔵菩薩という認識のもとで揮毫しています。緊迫した力に満ちており、積年の地獄に対する白隠の強い信念がこの「南無地獄大菩薩」の中に叩き込まれているかのようです。

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白隠慧鶴 南無地獄大菩薩

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白隠慧鶴 秋葉山大権現
紙本
132.5cm×28.5cm(総丈211cm×41.5cm)
箱入

〈解説〉
 火防・火伏せの神として有名な「秋葉山大権現」の神号を、雄渾な筆致でどっしりと書いています。勢い余って最後の一字が入りきらなくなってしまうという、白隠一行書の特徴が表れています。関防印に白文楕円印「顧鑑咦」、落款印に白文方印「慧鶴」と朱文方印「白隠」が捺されています。「大」字の左には、白隠の指紋らしきものが確認できることは注目すべき点だと思います。
 白隠は「金毘羅山大権現」と「秋葉山大権現」の神号を対にして書くことがしばしばあります。なぜなら、白隠においてはこの二つの神号が、火伏せなどという個別の利益を超えた「七難即滅、七福即生」、つまり、一切の災難を除き、一切の福をもたらすという「お守り」の意味を持っていたからです。

※ 秋葉山大権現 
秋葉三尺坊、秋葉権現ともいう。江戸時代には火難除けの神として広く知られ、全国各地に秋葉講が結成され、秋葉権現のある遠州(現在の静岡県西部)にお参りすることが盛んに行われた。

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白隠慧鶴 大達磨図
紙本
117.6cm×50.7cm(総丈186cm×65.5cm)
箱入

直 指
  人 心
見性
成 佛

〈読み〉
直指人心、見性成仏。
(じきしにんしん、けんしょうじょつぶつ)

〈解説〉
 白隠は民衆に禅の教えを分かりやすく伝えるために、生涯に一万点を超える書画をかいたと言われています。その中で最も多いのが達磨図です。
 どっしりと安定した構図で描かれた半身達磨。頭頂ははげ頭、後頭部の頭髪から顎と口を覆うふさふさの髭、大衣を着けていて、達磨の視線は斜め上を向いています。「直指人心、見性成仏」の語は、禅宗の教えの要点を端的に示したもので、達磨図の賛として最も多く用いられています。「(言葉や文字などの間接的な方法を用いることなく)座禅によって自分の心を直接つかみ、全ての人に本来具わっている仏性を自覚して、この身のまま仏となる」という意味です。この達磨、つまり白隠が伝えようとする「心」に触れ、一度ゆっくりと自らの「心」をまっすぐに見つめてみてはいかがでしょうか。

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白隠慧鶴 草坐達磨図
紙本
118.5cm×54.5cm(総丈217cm×69cm)
箱入

どふ
 見て
  も

〈読み〉
どふ見ても

〈解説〉
 80歳に近い70歳代後半に書かれた作品です。白隠は生涯に数多くの達磨図を描きましたが、「どふ見ても」という賛を持つものはかなり稀です。草のように見せる坐具に座り、大きな眼をカッと見開いて空を睨む達磨を真横から描いています。賛の意味は「どう見ても、達磨大師だ」であろうか。「どふ見ても」の後に続く言葉は、この達磨図と向かい合う人の置かれている状況や心境によって異なると思います。みなさんはどのような言葉が続くと考えますか。

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良寛 鉢の子
紙本
25.5cm×29cm(総丈135cm×42.5cm)
安田靫彦箱書並旧蔵品

「はちのこを」

波知能許遠
和可王數留
礼東毛登留悲
東者奈之登る
非登者那之は
ち能こ 安者礼

〈読み〉
はちのこを/わがわする/れどもとるひ/とはなしとる/ひとはなしは/ちのこ あはれ

(鉢の子を 我が忘るれども 取る人はなし 取る人はなし 鉢の子あはれ)

〈口語訳〉
大事な鉢の子を、私が道端に置き忘れてきたが、だれも取っていく人はいなかった。取っていく人はいなかった、その鉢の子のいとしいことよ。

〈解説〉
『良寛墨蹟大観』第三巻・和歌篇(一)、『良寛の書 -安田靫彦の愛蔵品による- 』所載作品。

 乙子神社時代と推定される、鉢の子を詠んだ有名な歌が揮毫されています。「鉢の子」とは応量器(=禅宗の修行者が使用する食器)のことで、禅僧が托鉢の時に所持し、諸方から喜捨される米や金銭を受ける鉢のことです。良寛は木製のかわいらしい浅い小ぶりの型を愛用したそうです。最終行の「あはれ」は一呼吸置いて書かれており、この余白から良寛の鉢の子に対するとても深い愛情を感じます。

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良寛 鉢の子

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慈雲飲光 二行書
紙本
120.3cm×50.5cm(総丈182cm×66.5cm)
箱入

禮々云々玉
帛云哉

〈読み〉
礼と云い礼と云うも、玉帛を云わんや。

〈口語訳〉
礼だ礼だというけれども、(儀式の道具の)玉と絹が問題ではない。

〈語注〉
◯玉帛(ぎょくはく) 儀式に用いる玉と絹。

〈解説〉
『墨美』267号 慈雲尊者(五)所載作品。

 『論語』陽貸第十七に「子曰く、礼と云い礼と云うも、玉帛を云わんや。楽と云い楽と云うも、鐘鼓を云わんや。」とあります。礼というのはその根底にある心が大切であって、儀式用の玉や絹のような道具によるものではないとし、「形式」よりも「本質」が大切だと説かれています。
 迫力の漲る躍動的な筆致でありながら、静寂さも備えた作品です。

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西田幾多郎 一行書
紙本
135cm×32cm(総丈205cm×45.5cm)
箱入

猛虎一聲山月高
   寸心

〈読み〉
猛虎一声 山月高し 。寸心。

〈大意〉
突然、虎の猛々しい声が響き渡って静寂を破った。外を見ると、月が山上高く昇って輝いている。

〈解説〉
 悟りの境地を象徴的に詠んだ禅詩とされる、北宋の詩人俞紫芝の「蒋山の栖霞寺に宿りて」と題する七言絶句の結句を記した作品。余分なもの一切を削ぎ落とした澄んだ細みの線で書かれています。
 この句は、突然の衝撃(虎の猛々しい声)によって目を覚まし、またすぐに静かな状態(山月の美景)に戻る様が詠まれています。禅の立場から見ると、「禅者の自在は故意に瀟洒な状態を作るのではなく、煩悩や妄想などの一切の束縛を捨てることで自在の境地を獲得できる。その高遠清幽な禅境は高山や密林にあるわけではなく、万物を知り抜いて憂懼(=心配し恐れること)を無くすことで、聡明な月が常に大千世界を明るく照してくれる」の意に解釈されるだろうか。

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鈴木大拙 一行書
紙本
144.5cm×39.5cm(総丈222cm×53.5cm)
関牧翁箱書

曽能末摩
   大拙書

〈読み〉
曽能末摩。大拙書す。

〈解説〉
 「曽能末摩」と記して「そのまま」と読みます。漢字の本来の意味とは関係なく、漢字の音や訓をかりて国語の音を表記しています。この言葉に込められたメッセージは「人生はそのままで満ち足りているから、毎日を自分らしく生きなさい」ということだろうか。本当の自分を見つめ直す言葉だと思います。
 巧拙など考えず、強い線質で思うままに勢いよく書かれ、禅者としての鈴木大拙の気骨と孤高がそのままに出ています。

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久松真一 覚
紙本
22cm×31.6cm(総丈107cm×44.5cm)
共箱


 抱石

〈解説〉
 久松真一は、大正4年(1915)に西田幾多郎の薦めで京都・妙心寺の池上湘山老師に参禅し、直後の臘八大接心(=お釈迦さまが12月8日に成道された故事にちなみ、12月1日から8日朝まで昼夜寝ずに座禅すること)に参加して「無相の自己」に目覚めるという経験をしました。以後、この「覚」の立場から独自の宗教・哲学を確立しました。
 書かれた「覚」字は、小さな紙面に張り詰めた空間を作り出し、「姿・形のない真の自己に目覚める」ことを説いた久松真一の思想を具現化しているようです。署名される「抱石」は師である西田幾多郎より授かった号です。

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久松真一 覚

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久松真一 名月や
紙本
22.5cm×31.5cm(総丈99cm×42cm)
箱入

   抱石
 名月や
大千世界
 際もなし

〈読み〉
名月や大千世界際もなし 抱石

〈語注〉
◯名月 陰暦八月十五夜の月。また、陰暦九月十三夜の月。  ◯大千世界 三千大千世界に同じ。仏教の世界観による広大無辺な宇宙の総称。転じて、ありとあらゆる世界、われわれが住む世界の全体。 ◯際なし (1)限りがない。果てしない。(2)限りなくすばらしい。このうえなくすぐれている。

〈解説〉
 『墨海 久松真一の書』収載作品にも見られる句を、行の頭や行と行の間をそろえず、さまざまな変化をつけて書いています。清らかで爽やかな空間が作り出され、また非常に静かなものです。何ものからも拘束されない、自由な、無碍自在なあり方、そういう久松真一の世界が現われているようです。久松真一は「書は、書く人自身の己象(自己の形)であり、生命の形である」と書いています。

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久松真一 名月や

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森田子龍 観
紙本 漆
30cm×38.4cm(額総丈34cm×42.2)
額装



〈解説〉
『森田子龍全作品集 1952-1998』所載作品。

 黒紙に、アルミ粉を混ぜた銀色の墨で草書体の「観」字を書き、その上面に漆を塗布して仕上げた漆金作品です。『森田子龍全作品集 1952-1998』によれば、森田子龍53歳(1965年)頃の作品とされています。文字が黄金色に輝いており、そのはなやかな美しさに目を奪われてしまいます。しかし、やや照度を落として鑑賞すると、深沈と静まった深みのある別の世界が広がります。「書の美しさは、筆・墨・紙で書かれた文字における境涯の美しさである」と語った彼の境涯の深まりを感じ取ることができます。なお、ここで言う「境涯」について、森田子龍は「時間、空間を超えた作者の世界」と説明しています。

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井上有一
南無地獄極楽大菩薩
紙本
167cm×36cm(額総丈173cm×43cm)
額装

南無地獄極楽大菩薩
   いのうえゆういち

〈解説〉
『別冊太陽』日本のこころ235「井上有一 書の破壊と想像」掲載作品。

 昭和54年(1979年)井上有一が63歳の時、白隠慧鶴の墨蹟「南無地獄大菩薩」に触発され、「極楽」の語を加えて書いた作品です。カーボンブラック(煤)と微量のボンドを水に溶いた「ボンド墨」を用いて和紙に書いたことで、独特の擦れや豊かな墨の表情が生み出されています。
 井上有一はこの年に肝硬変と診断され、2月初めから5月末までの4ヶ月間、東海大学病院に入院しました。そのため、1979年に制作された作品は「南無地獄極楽大菩薩」、「南無仏」、幼少期の思い出を記した「夢幻記」などのわずか17点しか残されていません。どれも「死」や「人生の終わり」を意識したようなものばかりです。本作品はそのうちの一点です。自身の死はどうあるべきか、死までどのように生きるかを日々考え模索した井上有一の内面が投影された作品と言えます。

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武士桑風 無題(大)
紙本
182cm×93cm(235cm×98cm)

〈解説〉
 同世代の比田井南谷(1912-1999)も非文字の領域に足を踏み入れましたが、1980年代になると作品の発表数が激減します。一方、桑風は最晩年まで精力的に作家活動を続けました。これは、生涯をかけて現代社会における書の領域、さらには「書」というもののあり方を問い続けたからだと言います。
 文字から距離を置いた作品。濃墨による安定した強い線は、桑風の内観的な生命体験が表れ、心理的な世界が表現されています。

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武士桑風 無題(小)
紙本
96cm×86cm(総丈193cm×97cm)

〈解説〉
 武士桑風は、1952年に書道展として初の海外展であるニューヨーク近代美術館展(書道芸術院主催)に《天駈ける太陽(ザ・サン)》(ギリシャ神話より)を出品しました。戦後まもない時代に世界的に高い評価を得た井上有一よりも2年早く海外で作品を発表しています。
 かなり淡い墨を二種類用いた非文字の作品。やや青みを帯びた黒と暖かみを感じる赤茶紫系の淡墨を、交互に重ねています。地色に近い色(白)もあることから、たっぷりと水を含ませた筆の穂先だけに淡墨をつけて書いたのだろう。目を凝らして見ると、中央には「◯(円相)」が浮かび上がってきます。円相は、真如・仏性・法性など、文字や言葉で表現し尽くせない絶対的で円満なる真理や悟りを象徴しています。見る人の境涯やその時の心境のあり方によって、円相に何を見るかは様々です。鏡に映った自分の心と向かい合っているような作品です。

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武士桑風 無題(小)

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久松真一は、禅の造形には「不均斉」「簡素」「枯高」「自然」「幽玄」「脱俗」「静寂」という七つの性格が備わっているという。
均斉を破って不均斉に至り、くどくどしくなく、老松のような風格をまとい、わざとらしさのない無垢な表情で、奥床しさがあり、こだわりが抜け、落ち着きと静かさがある。書画にしても茶道具にしても建築にしても、こうした禅味に胸ぐらを掴まれることがある。
書や絵画をたくさん見ていると、技法的に巧みであることや、造形的な工夫に関心が集中していく。視点として理解しやすいからにほかならない。書道史や美術史が「造形」を中心軸に語られるものである以上、もちろんこうしたモノの見かたを手放すことはできない。一方で、人が作り出すモノには、技法や形の観察だけでは捕まえきれないものがあることも事実である。

子どもだった白隠は、熱く沸いた風呂に八熱地獄の光景を重ねあわせて大変な恐怖を感じて泣き出したという。この地獄への畏怖の念が宗教者としての白隠を誕生させたのである。「南無地獄大菩薩」の一行は、白隠の最晩年の書である。このことばを書いた幅がほかにも何点か確認できるが、いずれも同じころの作である。あれほど地獄を恐れた白隠が、地獄を求めてこのことばをしたためているのである。肉太に書かれた文字は紙面を一杯に埋め尽くしている。どこか喜びにも満ちた表現は、書法という枠組みを超え、白隠が描く禅画との境目もぼんやりとしている。ゆったりと筆を運ぶ白隠の筆の軌跡を淡い墨色が今日に伝えている。
バサッと筆を下ろしてぐいぐいと書き進む慈雲の論語の一節にも、草仮名をじっくり書く良寛の鉢の子を詠んだ歌にも、何者にも冒されないその人の存在が浮き彫りにされている。彼らの表現は、徹底して自らの内面に向き合い続けたことで生まれた他所にはない表現である。さらに加えるのであれば、とりわけ書跡にその人の存在を感じるのである。

ところで、先に述べた久松真一が『禅と美術』(墨美社)を執筆したのは1958年、白隠や慈雲、良寛、三輪田米山といった禅味を帯びた書を積極的に紹介した書道研究誌『墨美』の刊行が始まったのが1951年、藪本英太郎の『慈雲尊者遺芳』はそれより少し前の1938年、安田靫彦の『良寛』(筑摩書房)が1960年、竹内尚次と鈴木大拙の『白隠』(筑摩書房)は1964年にそれぞれ刊行されている。墨美社を率いたのは書家の森田子龍である。
この時代の日本は、神武景気、岩戸景気を経て高度経済成長のまっただ中にあった。戦後復興の総括は1964年の東京オリンピックである。民主主義時代の自由を謳歌し、物質的な充足を求めて人びとは前向きに働いた。それと表裏をなすように、ともすると置き去りにされかねない個々に異なる内面的な豊かさの所在に気づきはじめたのである。
1950年代、60年代におこった、こうした近世墨跡の再評価の流れに裏付けを与えたのは鈴木大拙や西田幾多郎、久松真一といった哲学者たちだった。世界的な広がりを見せた禅文化の理論的支柱となった彼らもまた実践的な一面を持ち、その書にも徒ならぬ風格が備わっている。
なかでもこの動きにもっとも敏感に反応したのは一部の書家たちであろう。森田子龍は墨美社を通して書を中心とする禅の美術の積極的な評価を試みた。出版による啓蒙的な役割と同時に、紙に漆と顔料を用いた「観」のような、書の世界にそれまでなかった表現を模索している。子龍の書は抽象表現主義とも言われるが、出版活動と対をなす内面世界を重視した制作活動だった。
子龍が参加した墨人会が産声を上げたのは竜安寺の石庭である。井上有一もそこに集まった5人のうちの一人だった。「南無地獄極楽大菩薩」は白隠のそれを下敷きにして書かれたものだろうが、東京大空襲を体験した井上の地獄は白隠の地獄とは異なる地平にあるものなのだろう。この二点が同時に並ぶ機会はそうそうないのではないだろうか。
武士桑風は子龍と同世代で、大澤雅休・竹胎兄弟と行動をともにした。比田井南谷と並んで非文字の書作品を多く発表したことで知られている。桑風が、文字以前の人の感情をどうにか形にしようともがいたのも、この墨跡の時代のことだった。民藝運動にも近い大衆的なヒューマニズムを尊重した雅休の傍らで、ことばにならない感情を書として表現しようと葛藤し続けたのである。その後も旺盛な制作意欲は衰えず、2008年に歿するまで非文字を中心とする作品の傾向を枉げることはなかった。

白隠も慈雲も良寛も歴史上の突出した存在であり、彼らの書に他者では踏み込めないその人それぞれの厳然たる領域があることもわかる。しかし、これらを目の前にすると、理屈抜きの安心があるようにも思うのである。子龍は『禅と美術』という書籍が、「単に美術、芸術だけに止まらず人間生活のすべてにおける真実の在り方の発見と実践」のために役立つのではないか、と締めくくっている。その安心感は、虚飾を剥いだ人の真の姿が筆画に投影されていることに由来しているのかもしれない。

(大東文化大学 高橋利郎)

会場

松本松栄堂 東京店

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