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梅田雲浜
消息
Umeda Unpin
Letter
掛軸 紙本 16,3cm×38,2cm(台紙28,4cm×44,8cm,総丈110cm×52cm) 箱入
作品の状態について
画面、表装共に良い状態です。
六月廿一日
梅田源二郎
大高豫左衛門様
二白時下御自愛可
被成奉存候當地
相變り候事も無
之鴨川浚へニ向
日々騒々敷 天保
年中躍り同様之
事ニ候 以上
二白下拙も近々轉
宅家内出産臨
月ニ而取紛心配罷
在候以上
〈読み〉
六月廿一日
梅田源二郎
大高豫左衛門様
二白 時下、御自愛成し奉り存ぜらるべく候。当地、相変り候事も之(これ)無く、鴨川浚へに向かひ、日々騒々しく、天保年中躍り同様の事に候。以上。
二白 下拙も近々転宅、家内出産臨月にて取り紛れ、心配罷り在り候。以上。
〈語注〉
◯二白= 手紙などで、本文のあとにさらに書き加えるときに、その冒頭に記す語。また、その書き加えた文章。おってがき。二伸。追伸。なおなお。
◯鴨川浚へ=安政3年(1856)5月半ばから7月初めにかけて、洛中洛外の人々が鴨川の中州の土砂を浚渫し、祇園北林や安井門跡内(現在の安井金比羅宮の地)に運んだ。この作業は土木工事であると同時に、町単位の祝祭行事でもあった。
◯天保年中躍り=天保の飢饉の収束を背景に、天保10年(1839)の春、京都では人々が米価安定を願って今宮神社に詣でたことに端を発し、趣向をこらした仮装をした人々が昼夜問わず練り歩いた熱狂的な踊りのことだろうか。
◯下拙(げせつ)=一人称の人代名詞。男子が自分をへりくだっていう語。拙者。
◯家内出産臨月=安政3年(1856)当時、雲浜の後妻である千代子が次男・忠次郎を妊娠中であったことが確認されている。出生時期は不明だが、松波治郎著『梅田雲浜 下』に「盆近くなって、次男が生れた。」とある。
〈大意〉
六月廿一日
梅田源二郎
大高豫左衛門様
追伸。この頃は御自愛くださいませ。京都は変わったことも無く、鴨川浚えに向けて日々騒々しく、天保年中の躍り(豊年躍り)同様の状況です。
追伸。私も近く転宅の予定で、家内の妊娠が臨月を迎え、忙しくて落ち着かず、心配しております。
〈解説〉
この書状は、安政3年(1856)6月21日付で、大高予左衛門に宛てたものです。当時、梅田雲浜は42歳でした。本来は本文を伴う書状でしたが、何らかの事情により本文部分は切り離され、日付・差出所・宛先、および追伸部分のみが表装されています。また、文中に見える「鴨川浚へ」や「家内出産臨月」といった語句から、この書状の年代が安政3年(1856)であることが裏付けられます。(Y)
作家について
梅田雲浜(1815〜1859)は、福井県若狭に生まれた幕末の志士。
通称は源二郎。別号に湖南・東塢がある。
尊王攘夷思想の先駆者として、多くの幕末の志士に影響を与えた。
幕末批判により大老・井伊直弼の安政...
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