呉春 (ごしゅん)
松村呉春(1752~1811)は、はじめ大西酔月に学び、20歳代で与謝蕪村に俳諧と絵画を学ぶ。30歳代に、呉服の里という古名を持つ池田(大阪)に住んだことから、中国風の名前を呉春とした。のち京に戻り、円山応挙らと交流した。応挙の平明な技法と、俳諧に通じる洒脱みを融合した新しい画風は、大変人気を呼んだ。一門は京の四条に多く住んだことから四条派と呼ばれ、円山派とともに、のちに画壇にも強い影響を与えた。
松村呉春(1752~1811)は、はじめ大西酔月に学び、20歳代で与謝蕪村に俳諧と絵画を学ぶ。30歳代に、呉服の里という古名を持つ池田(大阪)に住んだことから、中国風の名前を呉春とした。のち京に戻り、円山応挙らと交流した。応挙の平明な技法と、俳諧に通じる洒脱みを融合した新しい画風は、大変人気を呼んだ。一門は京の四条に多く住んだことから四条派と呼ばれ、円山派とともに、のちに画壇にも強い影響を与えた。