山本梅逸 (やまもとばいいつ)
山本梅逸(1783~1858)は、名古屋で、彫刻工の父のもとに生まれた。12歳で父が没するが、家業は継がずに絵の道に進む。絵は、尾張の山田宮常に学んだとも、狩野派の山本蘭亭、のちに四条派の張月樵についたとも言われる。やがて、豪商で絵画を多数所蔵する神谷天遊の擁護を受け、和漢の古書画を手本に勉強し、ここで中林竹洞に出会った。享和2年、竹洞と京に上り、古寺をめぐって古画を模写し、修行を積む。その後、名古屋を起点にして、文化年間には江戸にも進出した。天保3年頃から京に居を構え、頼山陽や貫名海屋、浦上春琴らと交流しながら安政元年まで京で活動する。安政元年、名古屋に戻り、尾張藩の御用絵師格として帯刀、拝謁を許され、晩年を郷里で送った。筆技を駆使した華麗な花鳥画で知られている。