柴田是真 (しばたぜしん)
柴田是真(1807~1891)は、江戸の人。父は装飾彫刻を手がける宮彫師。11歳で江戸の蒔絵師、古満寛哉に入門。16歳で、自ら下絵を描く技術を身につけるため、絵画を四条派の鈴木南嶺に学ぶ。更に、24歳で京に遊学して岡本豊彦に師事。
また、東福寺塔頭三聖寺の釈迦十六羅漢図を臨模した。この三聖寺の仏画のちに売却されると聞いた時には、借金をして入手している。天保7年、再び京に遊学し、奈良の有職故実家の穂井田忠友を訪ね、正倉院開封の際の模写資料、所蔵の古書画を模写した。弘化2年に変塗の一つ「青海波塗」の復興に成功したのをはじめ、さまざまな漆塗の技法を再興し、自らのものとした。文久3年、尾形光琳作の扇面業平蒔絵硯箱を入手し、これをうつしている。
内外の博覧会に出品して好評を博し、明治23年には帝室技芸員に任命された。